「三十六町為一里」について

   

 これが載る古い文献は、『捨芥抄(シュウガイショウ)・田籍部第二十五』だが、これは、

36町=平方1里(1)」(「為」は「=」を表す)

と言うことであり、面積のことで、長さの関係では無い。基本的に「町」は律令で面積単位として次のように定義された。

  *「凡田、長三十歩、廣十二歩為段。十段為」(田令第九)

つまり、36町の面積は、

1町=30歩×12歩×103600歩>

36町=36×3600歩=129600歩>―①

平方1里の面積(1里×1里)は、

360歩×360歩=129600歩>―② (①=②)

  *「令制」の1里の長さは、当初は300歩であったが、後に360歩となった。

  『令義解・雑令』;「凡度地五尺為歩。三百歩為里。」

  『令集解・田令』;「古記云・・・和銅六年二月十九日格、其度地六尺為歩」。

   <5尺×1.26尺、300歩×1.2360歩>

だから、

面積的関係で「36町=平方1」であり、これが「三十六町為一里」と表記された。

  *当時は面積を示す「平方」と言う言葉は無く、「方一里」(面積の平方根表記)とか、単に「一里」と言った。面積の基本概念は昔も今も正方形であり、面積の発見は正方形の発見とも言える。平方根を求める算術も古く(紀元前)からあった。

しかし、後に、これを“長さ”的関係に誤読した者がでてきたと思われる。面積の「町」を正方形の一辺の“長さ”に換算すると、

<√町=√3600歩=60歩>

36町」では、<36町×60/町=2160歩>

これを尺に換算すると

2160歩×6/歩=12960

よって長さの関係が、「129601里」となってしまった。

これは「令」の「度」制に反するものである。

この誤読をそのまま正式採用したのが、明治の「度量衡法」(第三條―明治四十二年三月六日法律第四號)である。その条文の第三條「度」に、

「町:三百六十尺<六十間(60歩のこと)>」

「里:一万二千九百六十尺<三十六町>(129604m)」

と定めてしまった。(当時の1尺の長さは、奈良時代とほぼ同じで約30㎝)

  *(参考):「路程ハ六十間一町といひ、三十六町を一里というふ」(小學入門「連語圖解」)。この「路程」とは「みちのり」の事で距離(長さ)のこと。

   現在中国の「里(市里)」は、隋唐時代に近い0.5km1km÷2)。