「神漏伎、神漏美」私考 2012/ 4/ 9 14:55

 

『延喜祝詞式』の祝詞文に多用される「神漏伎(カムロギ)、神漏美(カムロミ)」について愚考をコメントします。ご批判を頂ければ幸いです。

 「伎」と「美」は性別をあらわすか。

  真淵、宣長以来、「神漏伎、神漏美(或いは神留伎、神留美)」の「伎」と「美」は、男女をあらわす語と言われて久しいが、これにはじめて異義をとなえたのは、管見ですが、『延喜式祝詞講』の金子武雄氏ではないかと思う。彼は同書の論註篇四「神漏伎・神漏美考」で、「「神漏伎・神漏美」には、元来必ずしも男女の姓の意識があったのではなく・・・」と言いますが、少し自信がないようで、「ギとミとは、例え男女の性別をあらわしているにしても・・・」と考えが少し揺らいでいるが、個人的には、ハッキリ言ってほしかった。「ギ」と「ミ」には、男女の性別をあらわす明確な用例は無いと。
 そもそもは「ギ」と「ミ」は、男女の性別をあらわすと言う理屈は、『古事記』の「イザナギ・イザナミ」に由来するものと思いますが、その『古事記』原文は、「伊耶那岐神。次、妹伊耶那美神。」であり、性別(女)をあらわすのは「妹」である。これ以前にあらわれた『古事記』の男女神にしても同様で、
 「宇比地迩上神。次、妹須比智迩去神。」
 「角杙神。次、妹活杙神。」
 「意富斗能地神。次、妹大斗乃弁神。」
 「於母陀流神。次、妹阿夜上訶志古泥神。」
と性別(女)を示すのは「妹」である。またスサノヲが出雲で出会う夫婦神でも「僕名謂足名椎、妻名謂手名椎。」であり性別(女)は「足」や「手」ではなく、「妻」であらわす。基本的に性別をあらわす詞は、
  「(め)迩斯阿礼婆 那遠岐弖 (を)波那志」(古事記歌謡・5

 (女)にしあれば な(汝)をきて (男)はなし> 
と使われる「め」と「を」と思われる。漢語の人の性別をあらわす基本漢字は、「男」と「女」だが、これに対応させた倭語も「ヲ」と「メ」であり、「ギ」と「ミ」ではない。
 ではなぜ「記紀神話」で、「イザナギ」に男神を配当し、「イザナミ」に女神を配当したのかをつらつら考えれば、単なる男性を先にあげただけの男性優位の順番であろう。もしこれが「イザナミ、イザナギ」の口称順なら、恐らく「イザナミ」に男神が配されたであろう。次に例を出すが、『延喜祝詞式』の「神漏伎、神漏美」にいたっては、男女の性別を超えていろいろな配当例があらわれる。ここからも「伎」と「美」は、特には性別をあらわさないと言える。この「イザナギ、イザナミ」や「神漏伎、神漏美」の「伎」と「美」は、「畏伎(カシコ・キ)」、「畏美(カシコ・ミ)」の様な助辞的用法ではないか。「上代特殊仮名遣い」で言えば、「伎」と「美」は甲類に分類されると言う。

 

『延喜祝詞式』の配当例

 「神漏伎、神漏美」に対する配当例を『延喜祝詞式』(祈年祭と月次祭)で具体的にみてみると次のようになる。

 ①「大御巫能辞竟奉皇神等能前尓白久。神魂、高御魂、生魂、足魂、玉留魂、大宮乃売、大御膳都神・・・皇吾睦神漏伎命神漏弥命登、皇御孫命能宇豆乃幣帛乎、称辞竟奉久登宣。」
 ②「辞別伊勢尓坐天照太御神能太前尓白久・・・皇吾睦神漏伎神漏弥命登、宇事物頚根衝抜弖、皇御孫命能宇豆乃幣帛乎、称辞竟奉久登宣。」

 ここの①では、「神魂、高御魂、生魂、足魂、玉留魂、大宮乃売、大御膳都神」の八神が「神漏伎命、神漏弥命」として配当され、②では、「天照太御神」の一神が、「神漏伎神漏弥命」として配当される。対象が複数以上でも単数でも配当されている。次に「祝詞」以外の例をあげてみる。

 忌部の『古語拾遺』。
 「神留伎=高皇産靈神」。「神留彌=神産靈神」。

卜部の『釋日本紀』所引の『亀兆傳』。
 「神漏伎=天照太御神」。「神漏美=高皇産靈尊」。

 この様に配当が多岐に別れれば、これはもはや性別による特定の神の名とは言えない。

  

結論

  いままで、見てきたように、主に祝詞に使われる「神漏伎、神漏美」は、どの神にも対応し、男女の性別にも関わらない神の一般的尊号であろう。対象の神が複数以上の場合は、「神漏伎命、神漏美命」と分けて「命」をそれぞれに付け、単数の場合は、「神漏伎神漏美命」とつなげて呼ばれたものと思える。だから『古語拾遺』で、「神留伎=高皇産靈神」、「神留彌=神産靈神」と配当させても別に問題はない。岩波文庫版『古語拾遺』の訓読文補注(P59)で西宮一民氏が「おかしい」と言うが、そうとも言えない。